婉子女王(つやこじょおう)は平安時代中期の皇族。
花山天皇の女御。
花山天皇の出家後は藤原実資と再婚しました。
美しいと評判でしたがその生涯は短かったようです。
婉子女王はどのような人物なのか紹介します。
婉子女王
名前:婉子(つやこ/えんし)
生 年:天禄3年(972年)
没 年:長徳4年9月17日(998年10月10日)
家族
父:為平親王
母:源高明の娘
夫:花山天皇/藤原実資
子:なし
婉子女王の生涯
おいたち
円融天皇の時代。
婉子女王は天禄3年(972年)に誕生。
父は為平親王(ためひらしんのう)
第62代 村上天皇(在位:946~967年)の第四皇子。
母は源高明の娘。
そのため婉子女王は源明子の姪になります。
天皇の娘までは「内親王」。孫天皇の孫やさらに血筋が遠い場合は「女王」とよばれます。
婉子女王は大変美しい女性だったと言います。
花山天皇の女御になる
永観2年(984年)。花山天皇が即位。
花山天皇には藤原忯子、藤原姚子、藤原諟子の3人の女御がいました。最も寵愛されていたのが太政大臣・藤原為光(ふじわらの ためみつ)の娘・忯子。
ところが寛和元年7月18日(985年8月7日)に妊娠中の忯子が病死。
その後、入内したのが婉子でした。このとき婉子女王は14歳。
婉子女王は最初は花山天皇から寵愛を受けました。でも婉子女王が幼すぎたのか。花山天皇が忯子を忘れられないのか、政治が行き詰まり花山天皇の心が疲弊したのか、やがて寵愛は薄れていきます。
寛和2年6月23日(986年8月1日)。花山天皇が突然出家しました。
花山天皇は出家後も様々な女性と関係をもちましたが、婉子女王は花山法皇とは関係を持とうとはしませんでした。
求婚者が現れる
婉子女王が独身になると美しいと評判の婉子女王は二人の貴公子から求婚されました。一人は太政大臣・藤原為光の息子・道信(みちのぶ)。もう一人は藤原実資(ふじわらの さねすけ)です。
婉子女王が選んだのは藤原実資でした。
藤原実資と再婚
かつて藤原実資(ふじわらの さねすけ)は源惟正の娘と結婚していました。でも源惟正の娘は寛和2年5月8日(986年6月17日)に病死していました。
花山天皇が出家して実家に戻っていた婉子女王はおそらく正暦4年(993年)ごろに藤原実資と再婚しました。21歳くらいです。実資は36歳くらい。
実資は若くて美しく、血筋もいい婉子女王に夢中になりました。
藤原実資は有能な役人で道長にも反対意見を言うほどの人物ですが女好きでした。でも婉子女王が生きている間は二人以上の妻や妾をもった記録はありません(記録にないところで愛人はいたかも知れませんが)。
でも結婚生活は長くは続きませんでした。
長徳4年9月17日(998年10月10日)。婉子女王は病死してしまいます。享年27。
藤原実資はその後、何人かの女性に手を出すようになります。でも正式な婚姻関係は結んでいません。正式な妻は婉子女王が最後です。
実資はあまり和歌は残していないのですが、万寿3年(1026年)の婉子女王の追善供養のときに詠んだ歌が残っています。
「思へども 消えにし露の 玉緒だに 衣の裏に留めざりけむ」
婉子女王が亡くなって30年近くたっていますが、実資の心にはずっと婉子女王がいたのかもしれません。
映像作品
TVドラマ
NHK大河ドラマ「光る君へ」 2024年、演:真凛 役名:婉子(つやこ)
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