仲姫命は応神天皇の妃で仁徳天皇の母です。
仲姫自身のエピソードはほとんど伝わっていません。しかし八幡神社にも祀られる神様になっています。
仲姫命とはどんな人だったのでしょうか。
仲姫命とは
名 前:仲姫(なかつひめ)、仲津姫、古事記では中日売と書きます。
生 年:不明
没 年:不明
皇后在位期間:応神天皇2年~仁徳天皇元年
皇太后在位期間:仁徳天皇元年~不明
父:品陀真若王(ほんだまわかのおう)
母:金田屋姫(かなたやのひめ)
姉妹:高城入姫(たかきのいりひめ)、弟姫(おとひめ)
夫:応神天皇(おうじんてんのう)
子:荒田皇女(あらたのひめみこ)
仁徳天皇(にんとくてんのう)
根鳥皇子(ねとりのみこ)
父親の品陀真若王(ほんだまわかのおう)は五百木之入日子(いおきいりひこ)の子。五百木之入日子は景行天皇の王子です。
五百木之入日子は稚足彦(わかたらしひこ・成務天皇)や小碓(おうす・日本武尊)とともに天皇候補者だったともいわれます。景行天皇の王子は各地に派遣されることが多かったのですが、五百木之入日子は王位後継者として大事にされていたためか何処にも赴任していません。
応神天皇2年3月3日。姉の高城入姫、妹の弟姫とともに応神天皇の妃となりました。
日本書紀では仲姫が皇后となり、姉の高城入姫、妹の弟姫が妃となっています。この時代、姉妹がそろって身分の高い人に嫁ぐのは珍しいことではありません。姉妹の親としては誰かが王子を産んでくれれば一族が反映できると考えていたからです。しかし仲姫は姉をさしおいて次女の仲姫が皇后になったことになります。
古事記では「三人の王女と結婚した。一人の名は高木入日売、次に中日売、次に弟日売」となってます。結婚した当初はだれが皇后というのは決まっていなかったようです。後に仲姫の子が仁徳天皇になったので皇后だったことにされたのでしょう。
仲姫は応神天皇との間に3人の子をもうけました。
長女:荒田皇女(あらたのひめみこ)、長男:大鷦鷯皇子(おおさざきのみこ)、次男の根鳥皇子(ねとりのみこ)です。大鷦鷯皇子がのちの仁徳天皇です。
仲姫は王子を産み、姉の高城入姫は大山守皇子を産みました。
大山守皇子姉妹の息子のどちらかが
皇太子になったのは仲姫の子ではありませんでした。
宮主宅媛(みやぬしやかひめ)の子・菟道稚郎子(うじのわきいらつこ)です。菟道稚郎子は応神天皇に可愛がられ太子にたてられました。
日本書紀では大鷦鷯皇子に皇位をゆずるため自殺したことになっています。古事記では病死となっています。
応神天皇の死後、仁徳天皇が即位するとその日のうちに皇太后になりました。天皇、皇后といった称号は後の時代に作られたものですが、大王の母になったわけです。
比売神として崇拝を集める
仲姫がどのような人だったのか詳しいことは伝わっていません。ところが応神天皇が八幡神として崇拝されるようになると、その皇后なので一緒に崇拝されるようになりました。
八幡神社に応神天皇とともに祀られている比売神が仲姫なのです。
神社に祀られている比売神は主祭神の妻や娘とされるのが一般的です。ですから比売神=仲姫ではないのですが、八幡神社では仲姫を意味します。
反正天皇の陵墓
仲津山陵(なかつやまのみささぎ)
別名:仲ツ山古墳(仲津山古墳)(なかつやまこふん)
場所:大阪府藤井寺市沢田
前方後円墳
墳丘部分の長さは290m。
古市古墳群に所属する5世紀前半の古墳。古市古墳群の中では2番めに古く実際には大王の古墳の可能性が高いです。
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