4 平安時代

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讃岐院・流罪になった崇徳上皇の生活とその最期

崇徳上皇は保元の乱で後白河天皇に敗れ、讃岐国(香川県)に流されました。 「崇徳」という諡は死後、怨霊騒ぎが始まって付けられた名前です。それまでは流刑地の讃岐の地名をとって「讃岐院」と呼ばれていました。 この記事ではわかりやすさを優先し崇徳上...
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源博雅は平安時代に活躍した音楽家

源博雅(みなもと の ひろまさ)は平安時代の公家で音楽家です。 映画やドラマになった夢枕獏原作の「陰陽師」に登場する人物としてのイメージが強い人も多いのではないでしょうか。 「陰陽師」では笛の名人として登場する博雅。現実にも楽器の演奏では優...
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空海:唐の都長安で密教の教えを授かる

延暦23年7月6日(804年)。空海を乗せた遣唐使は九州の田浦を出発。 空海は大使の藤原葛野麻呂とともに第一船に乗りました。第二船には最澄も乗っていました。第一船にには橘逸勢(書家)もいました。 後に日本仏教を支える二人の人物が同じ遣唐使に...
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空海が仏教に目覚めて唐に渡るまで

弘法大師空海は出家する前は佐伯真魚といいました。 役人になるため都に来て大学に入学した真魚でしたが。役人になるのをやめて仏教の道にはいってしまいます。親に反対されながらも修行を続け遣唐使のいちいんになることが出来ましした。 なぜ空海は遣唐使...
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佐伯真魚(さえき まお)、弘法大師空海の出生の秘密と上京するまで

佐伯真魚(さえき まお)とは弘法大師空海の出家する前の名前。 讃岐国多度郡(香川県)の豪族の子として生まれました。父・佐伯田公は多度郡少領。つまりを多度郡を治める領主のような人物です。佐伯一族は仏教に関心の高い一族でした。自ら寺を作ったりも...
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